決選投票の末、第102代内閣総理大臣に就任した石破首相は10月1日、9日に衆議院を解散し、衆議院選挙を27日投開票の日程で行う方針を表明しました。
石破氏は総裁選の際、衆議院解散に関しては「世界情勢がどうなるか分からないのに『すぐ解散する』という言い方はしない」と発言されていました。また「予算委員会で議論をしないと、国民に選挙でいったい何を判断してもらうのか判断材料を提供できない」とも話し、早期解散に慎重な態度でしたが、ここにきて10月の早期解散に方針を転換しました。
ここではなぜ石破氏が方針を転換し、早期の衆議院解散に踏み切ったのかについて調べていきたいと思います。
石破首相が早期の衆議院解散に踏み切った3つ理由!
党内の強い意向に押し切られた
”党内では政権の鮮度が落ちないうちに早く衆議院選挙をするべき”という意向が強かったようです。今回の人事で党ナンバー2に就任しました、森山幹事長からも強く進言があったとされています。
森山幹事長とはどんなお方でしょうか?
党内随一とされる調整力や安定感が買われ、党務を取り仕切ることとなった。国会対策委員長の経歴が長く、野党側にも太いパイプを持つ。党派閥の政治資金規正法違反事件を巡る関係議員の事情聴取では中心的役割を任されたことも。働きながら高校夜間課程で学んだ地方議員出身のたたき上げで、地元・鹿児島出身の二階堂進・元幹事長を政治の師と仰ぐ。好物はモチで、酒は飲まない。引用元:読売新聞
公明党の意向
連立政権の公明党も「大きな選挙が重なると、選挙運動をする側としては負担になる。選挙協力を上手にやるためにはタイミングよくやる必要がある」とし、今後の国政スケジュールを考慮すると、早期の衆議院選挙も一案としていました。
2009年 麻生政権からの教訓
2008年9月に就任しました麻生首相は当初、高い支持率を誇っており早期に衆議院を解散する予定でしたが、世界同時株安が直撃し、早期の解散を見送らざる終えなくなりました。
解散のタイミングを逸した麻生首相は、次第に求心力を失いはじめ、内閣では「麻生おろし」と言うワードが出る程統率力も失い、衆議院の任期満了直前の解散を迫られ、選挙に惨敗し政権交代となりました。
麻生おろしの筆頭には、当時農林水産相だった石破氏の顔も。この2人には遺恨が残っていそう。
まとめ
石破首相が早期の衆議院解散に踏み切った3つ理由!
・党内の強い意向に押し切られた
・公明党の意向
・2009年 麻生政権からの教訓
今回の衆議院の早期解散に関して立憲民主党の野田代表は、石破氏に対して「異常だ。まだ首相になっていない人が、なぜ衆議院の解散を決めることができるのか」と9月30日に衆議院解散を表明した石破氏に対してコメントをしています。
また「ルールを守る自民党といって、自分が言ってきたことを守らない。もっと堂々と議論に向き合うタイプの政治家だと思ってましたけども、とっとと逃げてしまうということに対して、私は深い失望を覚えています」と厳しいコメントもしています。
今後おこなわれる衆議院選挙に注目が集まります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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